うるせえよ、馬鹿野郎

なんだかよくわからないけど書きます

ゴリさん論

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僕の記憶を辿ると、常に周りにはゴリさんと呼ばれる男がいた気がする。

少なくともゴリさんは4人いて、全て違う人物だ。

中学、高校、大学、社会人。すべての時期にそれぞれ違うゴリさんが登場する。

皆さんの周りにもきっとゴリさんがいて、それは僕のゴリさんとは異なるゴリさんなのだろう。

世の中はゴリさんで溢れている。

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ゴリさん。とてもポピュラーなあだ名である。

おそらくどんなコミュニティにも一人はいるのではないだろうか?

共同体の数だけゴリさんは存在する。

世の中はゴリさんで溢れている。

あなたの中のゴリさんを思い出して欲しい。

おそらく彼はサル顔の男性で、その中でも彫りが深い。

加えていうなら大柄で、力が強いかもしれない。

あるいは毛深いかもしれない。

 

まぁでも、こんなところだろう。ゴリさんである条件を満たすのはそれほど難しいじゃない。しかし、その条件を満たした者よりゴリさんと呼ばれる人物が少ないのも事実ではないだろうか。

世の中はゴリさんで溢れている。しかしゴリさんになれる者はその一部でしかない。

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どう考えてもゴリさんは供給過多である。一つのコミュニティに同じ名前の存在は一人で十分だ。なのにゴリさんになるための条件は緩すぎる。

無作為に10人の男性を集めたら、おそらく2人は該当するだろう。

結果としてゴリさんには厳しい選抜基準が設けられることになる。

よりゴリラっぽく、より大きく、より力強く、あるいは滑稽な存在。

そして最も人望のある存在だけが、ゴリさん足りうるのだ。

 

だから世のゴリさんはゴリさんであることに誇りを持ってほしい。

あなたがゴリさんであるということは、ゴリさんになれなかった誰かがいるということなのだから。

永遠に続くゴリさんをめぐる戦い。

人は成長するにつれて所属するコミュニティが変わっていく。

例えば、おそらく最初にあなたの周りにゴリさんが現れるのは小学校高学年だろう。

第2次性徴を迎えた男子の中にゴリさんたる存在がちらほら出現し始める。

その中で最もゴリさんにふさわしい人物がゴリさんの称号を得ることとなる。

しかし、中学校になるとまたゴリさんは入れ替わる。

特に複数の小学校から集まってくる学校の場合はなおさらである。

それぞれの学校のゴリさんが一堂に会するのだ。それぞれのゴリさんが己の誇りをかけて真のゴリさん足るべく鎬を削るのだ。

そして、新たな勢力も現れる。中学生の多くはこの時期に成長期を迎える。

そして自らのゴリさんたる資質に気づき、ゴリさん足るべく戦いに身を投じる。

それは高校でも繰り返される。環境が変わるたびにゴリさんたちはその地位を奪い合う。それはもはや血塗られた運命としか言いようがない。

しかし、彼らも大人になるにつれて妥協し共存の道を探るようになる。

ゴリさんたちの共存への道

中学から高校にかけてのゴリさん争奪戦は熾烈なものである。

それは一つのコミュニティの規模が比較的大きいからである。

彼らは学校や学年を代表するゴリさんの座をかけて戦うからだ。

しかし、人は大人になるにつれて所属するコミュニティを細分化し、並列化していく。

大学のゼミやサークル、あるいは会社のそれぞれの部署においてそれぞれがゴリさんの地位を確立していく。

ようやく訪れたゴリさんたちの平和である。

しかし、ゴリさんを巡る戦いは終わったわけではない。

社会に出るということは、今まで横の争いだったものに縦の概念が加わるのだ。

新社会人となったゴリさんたちは歴戦の先輩ゴリさんたちに挑まなければならない。

ゴリさんの戦いは永遠に続くのだ。

 

 

飽きたのでやめます。そもそも僕は休日に他にやることが無いんでしょうかね?